こんにちは、しゅりです。
断捨離は少しずつ進んでいるものの、なかなか手を付けられないものがあります。
それは、
本。゜゜(´□`。)°゜。
実は、大量に本を所有しています。
文庫本も、新書も、単行本も、そしてマンガ、も。
芸人の又吉さんが読書家で、大量に本を持っていると紹介されていますね。
テレビに映っていた彼の蔵書の、優に3倍はあります。
引っ越しのたびに、もう読まないだろうと思う本は整理していますが、なかなか減りませんねぇ。
むしろ増える速度の方がよほど早いのです。
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「自炊」
一時期、話題になりましたよね。
紙の本をバラバラにして、スキャナーで読み取り、電子媒体で保存するというものです。
でもねぇ、やっぱり紙が良いのです。
指でページをめくる動作。
ホントは良くないけれど、水場でも持ち込める(お風呂とかね)。
何度も読み返す本ほど、湯気でごわごわになったページも、愛おしく感じるのです。
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断捨離でなかなか捨てられない物、それは何らかのコンプレックスの裏返しだ、とどこかで耳にしました。
あるいは、それにまつわる思い出の中で生きている、と。
洋服を捨てられない人は、ファッションセンスに自信がない。
子供たちが独立した後も、大量の調理器具やお皿を処分できないのは、賑やかだった昔を忘れたくないから、と。
これだけ電子媒体が一般化し、スマホでネットも見られるのに(調べられるのに)、本を手放せないのはなぜなんでしょう。
読書の快感だけなら、紙の本でなくても良さそうです。
現に、ブログやネットニュースを読むのにかなりの時間を使っています。
つらつらと考えたところ、思い当たることがいくつかありました。
ひとつには、月並みですが、読書で得た知識に助けられてきたこと。
知識だけでなく、読解力とそれに伴う情報処理能力なしでは、現在の職種は得られなかったでしょう。
「物知りなんだね~」と褒められた成功体験も、正直ありますし、ね。
ふたつめには、自分が社交的ではないこと。
とにかく集団行動が苦手です。
たとえば初対面の人が多い会合では孤独です。
人数の多い飲み会では、自分が話の輪に入れるか、いつも不安でいっぱいです。
これって、子供の時から変わりません。
気が向けば、愛想よく振舞うときもありますが、いつもではありません。
頑張っても、何だか微妙にずれていることを感じ、口をつぐむときも多いです。
そんな時、手元の文庫本を読むことでやり過ごしてきたんですよね。
待ち時間や電車での移動を苦に感じないのも、本を読んでいるから、でしたっけ。
読書という行為に助けられてきたことは、頭ではわかっているのですが、その象徴だと感じているからこそ、本が手放せないのかもしれませんね。
この部分をどうするか、痛みを承知で向き合うか、今は保留にして先延ばしにするか。
はい、保留にしました(*゚▽゚*)
どうしてもエンジンがかからない。
今は、「その時」ではないんだと思います。
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