こんにちは。
外来の患者さんで、若い頃に新体操の選手だった方がいます。
彼女が現役だった当時は、今のように日本が世界の舞台で戦えるようなレベルではなく、
未経験のコーチしか見つからなくて、大変だった、とか、いろいろ教えてくれます。
その患者さんが言っていました。
「向いている」って、とても大事だよ(*’▽’)
ホントに新体操に向いてる人は、ひどい事故もケガもないの。
向いてなくても、すごく努力すれば、ある程度までは上に行けるけど、ケガばっかり。
でも向いている人は、むしろ新体操が心地いいらしいの。
しかも、努力するんじゃないの、挑戦なの。
身体の造りも容姿も、新体操の要素だからさ、
そういうのも整って、それから、ようやく努力が生きる感じ。
もう根本的に違うんだよ
こんな主旨のことでした。
以前の職場で、もう何年も前の話ですが、ときどき思い出します。
だから努力は意味がない、と言いたいのではありません。
努力のポイントというか、対象はしぼった方がいいな、と思うのです。
辛くても、努力して頑張らなきゃと、自分に言って聞かせるようなことなら、
それが向いている誰かに、軽~く追い越されて、美味しいとこも持ってかれて終わり。
私も、新卒で勤めた会社は、自分ではすごく努力をしましたが、現実には仕事のできない、使えないヤツの評価でした(つまりD判定)。
それが、全然違う分野の仕事(今の資格職)に転職すると、ウソのように、とんとん拍子に仕事ができるようになりました。
仕事量も、勉強や研修量も、二つ目の職場の方が段違いに多いのですが、苦しいと感じませんでしたっけ。
まるで空気を吸うように、必要な知識を覚えられるし、技術も身についていくのです。
だから、努力って楽しいって、転職してから感じたのでした。
努力は報われる
じゃなくて、報われる場面で、努力しましょ(*^▽^*)って思います。