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【レーシック体験記①】出会い

レーシック
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こんにちは、しゅりです。

実は、2017年初冬にレーシック手術を受けています。

旧ブログでは、その体験談も記事にしていました。ただ今のブログでは削除していたのです。ちょっと古い情報になったかな、と思って。

 

でも何件か問い合わせを頂いたので、少し手直しして再掲します。

ただし、必ずしも最新情報ではないことをご理解いただけるとうれしいです。そして回数が多いので、他の話題の合間に載せていこうと思います。

 

それではどうぞ(#^^#)

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メガネ生活を断捨離したい

断捨離って、持ち物を整理していく以外に、習慣を簡素化することも含まれますよね。

 

家事の時短なんかもそう。

 

今も昔もいろいろ試していますが、ここ数年で大きな変化と言えば、レーシックを受けたことです。

コンタクトレンズの購入、在庫管理、ケア用品にまつわるあれこれ、レンズをつけたり外したり、眼精疲労に悩まされたこと、全~部から解放されましたから。

メガネを手放せない生活動作も、サヨウナラです。

 

持ち物を減らすことより、「手間」の面でメリットが大きかったですね(*゚▽゚*)

 

ところで、2017年9月にレーシックをしまして、無事2年が過ぎました。

これと言って副作用なく、今となっては、メガネやコンタクトレンズが必要だった頃が想像できないほど快適です。

 

北海道では、レーシックを受けられる医療機関は少ないですし、そのせいか体験記もあまり見つからないので、参考程度に書き留めておこうと思います。

手術を受ける前は、副作用や失敗例のこと、いろいろと悩みましたしね。

(あくまで、個人的な体験談です)。

レーシックのことは知っていたけれど

レーシックを初めて知ったのは、確か大学生の頃でした。

 

思えば、芸能人やスポーツ選手がレーシックを受け、日本中でブームになった(なりかけた?)ときでしたね。それと同時期に、某クリニックへの集団感染訴訟があり、レーシック難民なんて言葉も耳にしていました。

 

何だか、胡散臭いようなイメージだけが残ったものです。

米原万里さんのエッセイでも見かけました

そういえば、米原万里さんのエッセイにもエピソードがありました。

 

彼女はロシア語通訳者として、レーシックを受けるために渡露する患者グループに付き添った際のエッセイですね。

経歴から推測して、恐らく1980年代でしょうか。

 

まさに「おそロシア」だけど、「おソ連な」な話です。

 

いやいや勇気があるのは、当時のソ連に手術を受けに行った患者さんですけども。

 

(中略)ところで、わたしは近視矯正術を受けにソビエトを訪問する患者さんたちに通訳として付き添って、検査と治療  

の現場に立ち会ったことがある。

 (中略)

手術には禁忌事項というのがあって、風邪など感染症を患った場合がそのひとつだ。角膜のキズが癒えない

ところが風邪の菌に侵されてしまい、失明したという例が過去にあったためだ。

そのひいてはいけない風邪にかかってしまった患者さんがいた。事前検査で喉が赤く腫れ上がっていて、体温が三九度近くまで上昇しているのが分かった。この治療ツアー、モスクワまでの往復の航空運賃、二週間の宿泊費、治療費込みの代金は、一人当たり約一〇〇万円。二週間の休暇だって、日本のサラリーマンにとっては、相当な決意を要するものだろう。今回手術ができないとなると、一〇〇万円も休暇もフイになってしまうのだ。

「何とかしてくれ」

泣きつく患者さんに、眼科研究所の肝っ玉母さん風内科医は、

「一晩で治してみせる」 と豪語したのだった。

抗生物質の錠剤を服用するよう処方箋に書きつけると、

「部屋に戻ったら、蜂蜜をコップに三分の一、それにレモンを一個絞り入れて飲むこと。それから寝る前に、足をお湯で暖めてベッドに直行。熱いミルクにバターを溶かし入れたものを一気に飲んでから寝ること」

 わたしがメモをとるのを確認しながら続けた。

「あとは、ガーゼと油紙と包帯と、それからウォトカを用意すること」

 と述べて、テキパキと説明してくれた。

「皿に注いだウォトカにガーゼ二枚を浸して、火を点けてポッと燃え上がったところですかさず火を消してガーゼ二枚をそれぞれ油紙でしっかりと包み、それを喉とその周囲、それから背中の首の付け根のくぼみのあたりに当てて包帯で巻き付けること。極力急いでやらないと、せっかく暖まったガーゼが冷えてしまいますからね」

 要するに、温湿布をやれということだった。宿舎に戻って、にわか看護婦になったわたしは、女医に言われたとおりにして患者さんにして差し上げた。

 そして、驚くべきことに、翌朝、患者さんの熱は平熱にもどり、喉の腫れも赤みも嘘のように消えていた。完治である。湿布を取り外すときに、もう一度驚いた。油紙の中のガーゼは、取り付けたときとまったく変わらぬ温度を保っていたのだった。

「ロシアは今日も荒れ模様」 米原万里 (pp.29-30)

そして風邪が全快した患者さんは、無事にレーシックを受けることができたそうですよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

 

★★★★★

 

あの頃は、レーシックを受ける日が来るとは、夢にも思いませんでしたね。

人生ってどうなるか予想がつきません。

長文になってしまいましたので、レーシックを決意した理由は、次回にします。